私たちJAPAN DISPLAY CENTERは、
ディスプレイとは飾ることではなく、本質が世の中に広がることだと考えています。
どう装飾するかではなく、すでにある魅力をどのように展(ひら)くか。
50年を超えるものづくりの視点から、最適な方法を考え続けます。
MISSION
本質的な魅力が世の中に広がる方法を、
ものづくりの視点で考え続ける。
TAGLINE & STORY
ディスプレイとは、装飾ではない。
もともとの本質が広がること。
ディスプレイとは、誇示ではない。
すでにある魅力が放たれること。
未来の中心は、ここに在る。
OPEN THE FUTURE.
JAPAN DISPLAY CENTER
JDCの想い
日本ディスプレイセンターは、あらゆる業種における店舗什器と販促ツールの設計・製作・設置に長年携わりながら、近年は、栽培用のLED照明を取り付けた植物工場システムの開発にも参入。今後も研究開発機関のサポートをはじめ、オリジナル商品の開発など、アイデア溢れる取り組みを広げています。その経緯に触れながら、創業からの歴史と想いを紹介します。
取締役会長 山根 英治
1972年、パイプユニットを組み立てるアルバイトをはじめたことが、すべてのきっかけでした。会社組織というものがわからないまま、1974年にパイプユニットの販売・組立の会社を、学生ベンチャーのような形で創業したのが日本ディスプレイセンターの始まりです。当時は大学さえ卒業すれば、どこにでも就職できる時代でしたが、「人に使われるのは嫌だね」と話して、古本屋で見つけた株式会社の作り方の本を読みながら、高校からの友人でもある初代社長の永井を含めた、仲間3人で会社を立ち上げました。大きい視点で世の中を見ていきたいという思いから、会社名は「日本ディスプレイセンター」としました。とにかくなんでもやるぞという意気込みで、早朝から深夜までがむしゃらに働いていましたね。
取締役センター長 門井 亜希雄
もともと車やアパートの部屋に在庫を置いていた時代を経て、1980年に豊島区椎名町に30坪ほどの倉庫を借りたあたりで入社しました。当時、そこは「製作室」と呼ばれていましたね。日々、ガラスボックスなどをつくり、重さのあまり手がちぎれそうでしたが、割らないように気をつけながら運び続けました。当時はエアコンの効かないトラックだったので、夏の暑い日は大変でしたね。(笑)その後、作業スタッフが増えていく中で通いやすい場所を探し、1983年、練馬区石神井町に「流通センター」と名前を変更して、移転しました。本社も東池袋へ移転するなど、会社としては挑戦をし続けていた時代だったように思います。
取締役会長 山根 英治
当時はマネキン屋さんと呼ばれる、マネキンを何十体とリースする会社があったのですが、そこから陳列什器だったりバーゲンの平台だったりを納品する仕事が増えていったと思います。その延長で、ガラスボックスだけではなく、店舗の什器までできませんかと依頼してもらえるようになりました。やったことはありませんでしたが、「こんなのできないですか?」と言われて、「できません」という選択肢はなかったですね。とにかく間口を広げるために「ぜひ、もっと違う仕事もやらせてください」ということばかり言っていました。
【1972 - 1980年】学びの時代
1972
創業メンバーがパイプユニット什器の組み立てアルバイトを開始
「マネキン業界」との連携 マネキン会社の下請けとして、ガラスボックスや平台などの製作を開始。ここから「特注什器」への対応力が磨かれる
代表取締役社長 滝沢 敏広
初代社長の永井が経理や総務などの管理側。山根がクライアント対応を中心とする営業側。門井がものづくりを中心とするセンター長という役割分担ができていったと聞いています。役割分担のきっかけは、得意不得意というよりは、永井さんが運転免許証を持っていなかったからと聞いていますが。(笑)役割が明確になっていったとはいえ、「人に使われるのは嫌だ」という理由でつくった会社だったので、「社長」や「専務」など、肩書きで呼ぶのはやめようとお互いに言っていたみたいです。楽しく作って、楽しく運んで、楽しく仕事をする。先代達がそこを大事にしてきたというカルチャーが、今の弊社の社風につながっていると思いますね。
取締役会長 山根 英治
組織化が進んだことで、新しいジャンルの開発も増えて来ました。大型量販店が全国にできるようになり、特注のガラスケースやパイプユニットの発注が増えて、売上が増えました。その中でも、キャラクターのライセンスを持っていた大手の会社から、キャラクターの全国展開のための専用什器を7社競合入札で受注したことが大きかったと思います。さまざまな依頼への対応力が求められ、ガラス以外にも木だったり金物だったり、異なる素材を扱う工場との信頼関係を築くことも大切だと思うようになりました。
取締役センター長 門井 亜希雄
その後、一気にCDやゲームソフトのショップの特注の什器、タイヤのラックなど、流行の変化に伴い、扱う商品が増えて来ましたね。つくる商品数もそうですが、現場に送る数もものすごい量を扱うようになってきました。チャーター便を予約することも多くなりました。とにかく時代の流行に対応するために必死でしたが、スタッフの質もこの頃から変わってきたというのも大きかったと思います。ものづくりがみんな好きなんですかね。「どうしよっか」と悩んでしまう場面も多かったですが、「なんとか発注者の期待に応えたい」「とにかくできる方法を考えよう」という人が多い、そんなものづくりファーストの現場の空気に支えられて来たと思います。
【1980 - 2000年】対応の時代
キャラクターショップの展開 ソニーのグループ会社との取引開始。「セサミストリート」等の店舗什器を一手に引き受け、FRPや木工など異素材を組み合わせるノウハウを蓄積
メディアショップ什器の革新 ソニーのグループ会社の依頼で、CD/DVD陳列用の特殊スリット什器を開発。CDショップ、家電量販店など全国へ導入
1995
本社を豊島区南池袋に移転
社内体制の強化 アルバイトから職人肌の社員が育ち、「みんなで知恵を出し合って作る」文化が定着
毎年のように海外に社員旅行へ行き、結束力を高めた
タイヤ販促ラックなど(量産への挑戦) 国内タイヤメーカーのコンペに参加。従来のスチールではなく、リサイクル可能なアルミ・樹脂製ラックを提案し採用。
大量生産も得意とし、数千〜単位の量産実績を作る
取締役会長 山根 英治
実は、南極で植物を育てるための棚も、弊社でつくったことがあるんです。当時、完全閉鎖型植物工場の展開を開始したベンチャー企業に見学に行った時に、弊社は棚をつくるのが得意ですと伝えたら、水耕栽培の研究者の方から「じゃあ、南極用の棚をつくれますか?」と聞かれました。もちろんつくれますと応えました。(笑)それ以来、大企業の研究をサポートする形での、植物工場の什器をつくる仕事も増えていきました。
代表取締役社長 滝沢 敏広
弊社には植物工場に興味を持ってくれた農学部出身の社員がいるのですが、彼がとても個性的ですね。棚を棚として見ていない。「養液をうまく循環させる仕組みづくり」「LEDの光を平等に当てるための工夫」など、とにかく研究心が凄い。その探求心は私から見てもこの業界で日本のトップに入るぐらいのエンジニアだと思っています。自分の興味・関心を仕事の延長として深掘りしていることに感心しましたが、それって会長たちがやってきたことの延長だなと気づいたんです。そういった取り組み方の姿勢こそが、弊社らしさのような気がしています。
取締役センター長 門井 亜希雄
「ディスプレイ」という言葉に対しての世の中の考え方が変わって来たのも、この頃からだったような気がします。ショーウィンドウのようなものがディスプレイだったのが、画面やモニターと捉えられるように。この頃にサイネージの仕事も増えて来ましたね。鉄道会社や銀行、通信会社などからの依頼で、駅やコンコース、受付やエントランス、海外のショー向けなど、あらゆるサイネージの筐体をつくる仕事が増えてきました。今では、モニターも組み込んだ状態でさまざまな用途に対応しています。
【2000 - 2020】変化の時代
2007
植物工場事業の萌芽 千葉大学が関連したベンチャーとの縁により、南極・昭和基地向けの植物栽培装置のフレームを製作。これが現在のアグリバイオ事業の原点となる
2008年流通センター(現:製作管理センター)を埼玉県さいたま市に移転
デジタルサイネージ事業の本格化 交通広告(メトロ、JR等)や商業施設(渋谷ヒカリエ、スクランブルスクエア等)の大型サイネージ筐体を製作。現在はサイネージ機器選定販売からコンテンツ運用までトータルサポート
植物工場事業の拡大 自社設計のアルミ型材を用いたフレームラックや樹脂成型の栽培備品で、レタスやベビーリーフの大規模工場に携わる。近年では、イチゴの完全閉鎖型工場の設備を設計・施工
代表取締役社長 滝沢 敏広
「display(ディスプレイ)」の語源は、ラテン語の「dis-(離れて、離散)」+「plicare(折る、畳む)」が組み合わさった「displicare(広げる、解き放つ)」が由来なんです。展覧会や展示会にある「展」という文字を使った、展く(ひらく)という言葉が意味として近いと思っています。ディスプレイとは飾ることでも自慢することでもなく、もともとある魅力が解き放たれることだと私たちは考えているからです。
量産の時代から個性の時代へと変化する世の中で、今一番必要なことは「想い」です。自然災害やパンデミックなどの危機的状況に陥った時、「どうすれば良いのか」「なにか方法はないか」と考え続ける力こそが、変化に強い会社になる唯一の方法だと考えています。弊社は長年、クライアント様の想いにとにかく応えたいという強い想いを、ものづくりの力へと昇華させてきました。一見「受け身」の姿勢にも見えますが、私はこれこそが強みだと思っています。依頼されたお題を実現する方法を考え続ける力が、弊社にはあると自負しています。
さらに、依頼されたことに応えるだけではなく、「こういった什器にするのはどうでしょうか」という、プラスアルファの提案もセットでできるような進化を目指しています。やりたいことはたくさんあるけど、どこに頼んで良いかわからない。そんな時こそ、日本ディスプレイセンターにお声がけください。50年を超えるものづくりで培った視点で、最適な方法をご提案させていだきます。
【2020 - 現在】想いを込めたものづくりを
2022
埼玉県三郷市にある金物工場の株式会社ディスプレイイチカワに出資し、滝沢が代表に就任。金物製作の対応力を高め、ものづくりの体制をさらに強化
近年
高度技術への応用 ワクチン研究用栽培装置(タバコの葉を活用)、機能性野菜(高ポリフェノール)栽培設備や、選挙カーの看板枠など、ディスプレイ業界の枠を超えた技術提供を展開
コラム